英国Brexitと、トランプ新大統領選出の震源地

2016.12.01

2016年も最後の月を迎えました。

11月8日に米国大統領選、メキシコ国境に壁を建てるトランプ氏の就任が決まり、来年の欧州では極右政権の誕生が予測されつつ、分断時代の幕開けがささやかれています。

英国のブレグジット、韓国大統領の弾劾、フィリピン親中化、ロシアと米国の「新デタント」など、紛争テロや核実験などの安全保障問題に加え、来年は先進国の政情変化が大きな世界的地殻変動の主要ファクターになる気配です。

特に英国のブレグジットや米国大統領選の結果を見るにつけ、この大変動の震源地はいったいどこだったのかと考えたくなります。

ひとつ要因は、紛争や政治的迫害がもたらした急増する移民。シリアやアフリカ等の政情が生んでいる悲劇的な状況が欧州先進国の政治基盤を揺るがしている。ドイツ・メルケル首相の移民を積極的に受け入れる政策に対しドイツ国民は違和感を示して政権が支持率低迷にあえぐ中、英国の国民投票においては多くの若者層が残留を望みつつも、高齢者層のより強い支持により離脱が決定した。欧州連合参加国の若者たちは各国大学への留学が格段に容易であり、彼らはトランスボーダーの申し子とも言え、もはや欧州は一つの国家的存在として違和感なく受け入れる素地があったと言われています。その反対に、離脱を支持した高齢者層はかつての古き良き英国のノスタルジーから抜け切れなかった、との声も聞かれ、離脱の投票結果に対するネガティブな意見もよく耳にしますが、分断という言葉で昨今は語られる内向き志向の自国優先政策に対する憂慮が表れているという事と思います。私は、必ずしも離脱がマイナスだけを産むとは思いませんが、国境を感じない多国間交流の壁がひとつ厚くなったことについては、そのマイナスを十分に補う政策が望まれると思っています。

そして新興国台頭による新たな人と企業と資本の流動化。新興国と呼ばれる対象国は数多くあるようで、日本から見れば中国の台頭は実感出来るところですが、ロシア、メキシコ、ブラジル、トルコやインドネシアやベトナム、韓国など、その範囲や定義は広く一概なものではありませんが、いわゆるG7時代のスーパーパワー大国イメージで語られる世界観はもはや存在せず、分散と共有、多様性と再構築という新たな世界観の下で現在の国際社会は流動していると考えて良いと思います。ネットの普及さらにスマホ等端末細分化はその礎をなす役割を果たしていて、いつでもどこでも知識を得、世界の風景を眺め、通勤電車の中でクリスマスのワインを発注し、遠く離れた小学校時代の友達とSNSで連絡を取り合う。地理的な感覚がネット空間と同化し融解するなかで、国境によって遮られる、あるいは遮るべきとされる事柄は減少する傾向にはあると思います。しかし国境の為す意味がゼロになることもないと思います。国境とはもともと人間の尊厳を守るためにあると私は思っていますが、その逆の作用が働いてしまう施策であれば、その地域の民意による淘汰が望まれるところです。

そして、格差です。急増する移民や新興国台頭によっても後押しされながら、それぞれの国内における経済格差はぐんぐん広がっています。一部の超大金持ちと大量の貧困層という構図は、人道に適していると判断されて良いかどうか問われれば、即答で「問題ない」と答える人はそう多くないと思います。やはり、人間の欲を青天井で認め貧困を放置するという様相の格差は改善すべき状況であると多くの人が考えるわけで、しかし資本主義を容認して資本主義によって発生する給料で生活を成り立たせているなかで、資本主義が生んでいる現状に対しどこまで非を認めどこまでOKを出すべきなのか、民主主義的な民意による人道的な解決方法を、国際社会は未だ発見できていないというのが現状なのだろうと思います。ここに昨今、資本主義は経済の原理であり、民主主義は政治の原理であるというそれぞれ別個の思想的並立が、いったいどこまで健全にタッグを組み二人三脚で機能することが可能なのかという科学的検証が随所で語られている所以があります。

金融工学が流行り、日本はバブル崩壊によって世代間の分断を孕んだまま推移しています。バブル前と後とでは、まるで国民の価値観が違っていると思います。2000年代に入ってから世界の金融資産は実体経済(世界GDP)の4倍前後で推移し、金融工学に普段関わりを持たない大半の国民にとってはおよそ無縁の、実体経済を除いた残りの数字上の富が一部のセレブによって差配されているという現状に対して、そのような事情をネットを通じて実際に目で見て、耳で聞いて、情報に接しながら、「いったい奴らは俺たちの人生をどこまでみじめにすれば気が済むんだ??」という資本主義のもたらす最も過酷な人間の叫びが、民主主義によってマグマのように表出されたのが、ブレグジットとトランプ新大統領選出だったのではないかと思うのです。

民主主義は苦しい叫びの表現手段です。したがって叫びを表現しなければ民主主義はなかなか目に見えてこないのだろうと思いますが、表現の仕方は地域で差があるものでもあり、民主主義をどのように構築していくことがその地域のためになるのか、来年はより問われる一年になるのかも知れません。

荻原隆宏

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